夕べ、山の音を聞いた

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『ブルーハーツが聴こえる』(2016/李相日、 飯塚健、 清水崇、 井口昇、 下山天、 工藤伸一)

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ブルーハーツを聴いたのは、彼らが解散した直後だった。

 

年齢的にもある程度そういう世代だった。音楽の流行りも知らない片田舎でチャゲアスを聞いて育った僕は、中学生あるいはそれ以前に尾崎豊同様にブルーハーツも意識して聞くことはなかった。ドラマ「はいすくーる落書き」でブルーハーツの「train train」は聞いたけど、あれは不良の音楽で僕が聴くもんじゃない、と。そんな調子。

 

16才、機械工学科に入り、シンくんに会った。彼は根っからのブルーハーツファン。ギターも弾いていた。彼の家で、ビデオの「ザ・ブルーハーツの凸凹珍道中」のパッケージを見た。映像も観たかな、記憶がない。けれど、彼の影響でブルーハーツを聴き始めた。ちょっと悪ぶってみたい年だ。好きになるまでに時間は必要なかった。

 

シンくんたちと観に行ったのは、ブルーハーツ解散後にヒロトマーシーが組んだハイロウズのライブ。高崎あたりだったか。その楽曲に陰はなく単純明快。後になれば、それこそがブルーハーツを引きずらないロックな生き様、とか言えた気もするが、ブルーハーツを聴き込んだ僕には、何か物足りなかった。

 

 

僕らかそれよりちょっと上の世代の人がディレクターになった時に、ふと昔聴いたブルーハーツの楽曲を使いたくなるのではないか。というくらい、CMなどで彼らの楽曲を聴くことが増えた。「1000のバイオリン」は宮崎あおいが歌っていたし、「情熱の薔薇」はパチンコのCMで使われた。若い世代にも好まれているバンドだし、僕ら世代には効果も大きいだろう。それよりも、CMの作り手が今さらブルーハーツを使う意味、に意識がいった。

 

そしてようやく映画の話となる。「ハンマー」「人にやさしく」「ラブレター」「少年の詩」「情熱の薔薇」「1001のバイオリン」というブルーハーツを代表する楽曲を、タイトル・劇中歌として使った6人の監督によるオムニバス映画だ。

 

その個々について書くときりがないし、そもそも、好き嫌いだけで映画のことを書く年齢でもない。「李相日監督の作品は、1001のバイオリンだから良くて、1000のバイオリンではあそこまで映画と曲がシンクロしなかったよね」とか、映画好きブルーハーツ好きな意見は言いたくもなるけれど。僕はその3時間、とても楽しんで観た。群馬県出身の飯塚健監督『ハンマー』、清水崇監督『少年の詩』の2作品もとても良かった。

 

 

各映画の中で、フラストレーションを爆発させる時に曲がかかる、生きる目的を見つけた時に曲がかかる、あの娘との思い出に曲が重なる、駆け出した少年に曲が重なる、沈黙を破るかのように曲がかかる、言葉にできない感情を肉付けするかのように曲が重なる・・・という風に、いつどこでブルーハーツが聴こえるか、というのがこの映画の醍醐味のように思う。

 

あなたがもしブルーハーツが好きだとしたら、それはただCDを再生して曲を聴く、ってだけじゃなくて、あなたの人生の中のある瞬間に彼らの曲が脳内再生されてる、という経験をしているんじゃないか、と思うのだ。僕は悪ぶることすらできなかったけど、今まででそんな瞬間が幾つかあった。

 

例えば、自信喪失して夜道、ふと「月の爆撃機」の冒頭を歌い出す。ここから一歩も通さない理屈も法律も通さない誰の声も届かない友達や恋人も入れない、と。側から見たら危ない人だが、僕はそっとうろ覚えでその歌を歌い終える。すると、よくはわからないけど頑張ってみようかと思う。そういう曲を作れるミュージシャンは、それほど多くない。

 

この映画は、そんな「人生と並走する歌があるんだぜ」ということを思い出させた。もう15年以上会ってないけど、シンくんは今でもブルーハーツを聞いているだろう。それは、確信をもって言える。