夕べ、山の音を聞いた

場所/こと/人/映画/美術/本/音楽について

「真青」(2016/抜井諒一)

f:id:okayasu_k:20180108203518j:plain

真青なる闇に触れたる蛍の火(抜井諒一)


真の青と書いて、「まさお」と読むらしい。句集である。僕は、ほとんどの人と同じように俳句を読まない。でも、この句集は特別だ。それはこの作者が知り合いだから、ということから始まる。

 

著者である抜井さんと会ったのは、もう10年以上前のこと。共通の知人である堀澤宏之さん(当時は伊勢崎で「ほのじ」という飲食店をやっていて、今は高崎で「シンキチ醸造場」というクラフトビールと和食の店をやっている)を介して会った。その頃抜井さんはまだ俳句を作っておらず、堀澤さんと立ち上げたサイト「めっかった群馬」で文章を書いていた。

 

2人を知りそのサイトを見てみれば、地元の、さらに物好きな人しか行かないような店の情報や、群馬県内でも数が少なくなった銭湯の詳細なコラムが書かれていて(抜井さんは、句集の前に「群馬伝統銭湯大全」なる本も出していた)、僕はすっかり抜井さんのことを年上だと思っていた。顔を見れば実に欲がなさそうな仏顔。GパンTシャツよりは浴衣に下駄が似合う出で立ち。僕より年下で実はけっこう若いと知った時は(今はお互いいい中年になってしまったけど)驚いたものだ。「へぇ、その年で銭湯とか落語とかはしご酒とか好きなんだねー」と。

 

おでん酒卓の人みな初対面(抜井諒一)

 

住む場所も近くはないので、会うのは年に1度、元旦に行う「お気楽俳句ing」という集まりだけだった。これは、抜井さん堀澤さん、他に僕のようなもの好きが集まって、初詣ついでに酒を飲んで俳句を読むという特殊な会だ。僕も参加して5・6年経つし、「俳句ing」自体はもっと前から行っていたようである。今思えば、この会を取り仕切る時点ですでに俳人・抜井諒一は誕生していたことになる。

 

抜井さんは、僕のような季語すら知らない素人にも嫌な顔せず、何を押し付けることもなく寄り添ってくれて、僕の安直な句にも何か良いところを見出そうとしてくれる。僕の趣味が俳句になることはなかったが、「俳句ing」は僕にとっても楽しみな例年行事になった。なにより、上野の大衆酒場などで卓を囲んでホッピー焼き鳥で一杯やった後に、ちょっとごめんなさいよとジョッキや皿を脇に押しのけて、抜井さんが持参した短冊にウンウン唸りながら俳句をしたためる。年号を2つ位遡ったようなその行為が、面白くて仕方ない。

 

寒月の光しづけさへと変はる(抜井諒一)

 

2年とすこし前、抜井さんが「北斗賞」という俳句の賞を受賞したと聞いた。俳句を知らないものにとっては聞きなれない賞ではあるが、全国を対象とした若手俳人の公募賞で、その大賞を抜井さんが獲ってしまった。すごいことである。その副賞として句集の発行があり、そうして世に出されたのが初句集「真青」となる。Amazonでも買える(そういう基本的なことが、知人としてとても嬉しい)。出版からいくらか時間は経ってしまったが、足元が冷える机に座って、今読み終えた。いい気分だった。

 

僕は俳句のことを知らないが、抜井さんが書く俳句には難しい語句や、理解が難解な比喩や言い回しは少ない。極力ないと言ってもいいくらいだ。それは、句集のあとがきにある「自然から得た直感を、それがいかに微弱なるものであろうと、逃さず一句にすることを心がけてきた」という抜井さんの言葉が言い表している。心配するくらい、飾り気がなく素直なのだ。

 

だからと言って、単純であったり安易な句ではない。自分が体験したことのみを俳句として書き残す、ということの純度を上げるとでも言うか、俳人に限らず誰しもが春夏秋冬に一度ずつ位は体験するであろう、暮らしの中のほんの一瞬、「何か豊かなものに会った」という瞬間を、彼は俳句として捕らえている。その句を読めば、そんな「豊かな一瞬」が、共感をもって、真青な無意識の中に蛍の火のようにふわりと煌めく。

 

この句集が特別なのは、作者が僕の知り合いだから、ということに始まった。だがそれを抜きにしても、俳句を読まない僕のような者に対しても価値がある句集だからに違いない。以上、ほめすぎた文章ではあるが、さほど間違ってはいないと思う。

 

真青Amazon
めっかった群馬(縁あって、僕もたまにコラムのようなものを書きます)

『ブルーハーツが聴こえる』(2016/李相日、 飯塚健、 清水崇、 井口昇、 下山天、 工藤伸一)

f:id:okayasu_k:20170630001920j:plain

ブルーハーツを聴いたのは、彼らが解散した直後だった。

 

年齢的にもある程度そういう世代だった。音楽の流行りも知らない片田舎でチャゲアスを聞いて育った僕は、中学生あるいはそれ以前に尾崎豊同様にブルーハーツも意識して聞くことはなかった。ドラマ「はいすくーる落書き」でブルーハーツの「train train」は聞いたけど、あれは不良の音楽で僕が聴くもんじゃない、と。そんな調子。

 

16才、機械工学科に入り、シンくんに会った。彼は根っからのブルーハーツファン。ギターも弾いていた。彼の家で、ビデオの「ザ・ブルーハーツの凸凹珍道中」のパッケージを見た。映像も観たかな、記憶がない。けれど、彼の影響でブルーハーツを聴き始めた。ちょっと悪ぶってみたい年だ。好きになるまでに時間は必要なかった。

 

シンくんたちと観に行ったのは、ブルーハーツ解散後にヒロトマーシーが組んだハイロウズのライブ。高崎あたりだったか。その楽曲に陰はなく単純明快。後になれば、それこそがブルーハーツを引きずらないロックな生き様、とか言えた気もするが、ブルーハーツを聴き込んだ僕には、何か物足りなかった。

 

 

僕らかそれよりちょっと上の世代の人がディレクターになった時に、ふと昔聴いたブルーハーツの楽曲を使いたくなるのではないか。というくらい、CMなどで彼らの楽曲を聴くことが増えた。「1000のバイオリン」は宮崎あおいが歌っていたし、「情熱の薔薇」はパチンコのCMで使われた。若い世代にも好まれているバンドだし、僕ら世代には効果も大きいだろう。それよりも、CMの作り手が今さらブルーハーツを使う意味、に意識がいった。

 

そしてようやく映画の話となる。「ハンマー」「人にやさしく」「ラブレター」「少年の詩」「情熱の薔薇」「1001のバイオリン」というブルーハーツを代表する楽曲を、タイトル・劇中歌として使った6人の監督によるオムニバス映画だ。

 

その個々について書くときりがないし、そもそも、好き嫌いだけで映画のことを書く年齢でもない。「李相日監督の作品は、1001のバイオリンだから良くて、1000のバイオリンではあそこまで映画と曲がシンクロしなかったよね」とか、映画好きブルーハーツ好きな意見は言いたくもなるけれど。僕はその3時間、とても楽しんで観た。群馬県出身の飯塚健監督『ハンマー』、清水崇監督『少年の詩』の2作品もとても良かった。

 

 

各映画の中で、フラストレーションを爆発させる時に曲がかかる、生きる目的を見つけた時に曲がかかる、あの娘との思い出に曲が重なる、駆け出した少年に曲が重なる、沈黙を破るかのように曲がかかる、言葉にできない感情を肉付けするかのように曲が重なる・・・という風に、いつどこでブルーハーツが聴こえるか、というのがこの映画の醍醐味のように思う。

 

あなたがもしブルーハーツが好きだとしたら、それはただCDを再生して曲を聴く、ってだけじゃなくて、あなたの人生の中のある瞬間に彼らの曲が脳内再生されてる、という経験をしているんじゃないか、と思うのだ。僕は悪ぶることすらできなかったけど、今まででそんな瞬間が幾つかあった。

 

例えば、自信喪失して夜道、ふと「月の爆撃機」の冒頭を歌い出す。ここから一歩も通さない理屈も法律も通さない誰の声も届かない友達や恋人も入れない、と。側から見たら危ない人だが、僕はそっとうろ覚えでその歌を歌い終える。すると、よくはわからないけど頑張ってみようかと思う。そういう曲を作れるミュージシャンは、それほど多くない。

 

この映画は、そんな「人生と並走する歌があるんだぜ」ということを思い出させた。もう15年以上会ってないけど、シンくんは今でもブルーハーツを聞いているだろう。それは、確信をもって言える。